日本の印鑑の歴史

印鑑イメージ

欧米ではサインでの署名が一般的になるのですが、東アジアでは印鑑文化が広まっています。
私たち日本の印鑑文化にも目を向けてみたいと思います。

日本で私印が用いられるようになったのは平安時代に入ってからだといわれています。
それまでは貴族などだけに許されていた印鑑が、書類のみならず蔵書などにも押されるようになったのです。
貞観10年の太政官符によって私印が認可された記述が残っています。

平安時代の後期には、「花押」(かおう)が登場しました。
後鳥羽上皇をはじめ、天皇が公文書にこれを使用するようになりました。
花押は「書判」(かきはん)という別名があるように、判子とサインの両方の役割を持っているものでした。
この流れは鎌倉時代にも続いていきます。 武家の文書の大半に花押が残されるようになったのです。
一方で、僧侶や文人の間では「落款」が流行していました。

戦国時代に突入すると、天下統一の野望を抱く武将たちは、花押ではなく独自の印鑑を用いるようになります。
これは鎧や兜、旗印などと同じく、権威の象徴といった意味合いがありました。
織田信長の「天下布武」の印鑑は特に有名です。
豊臣秀吉の印鑑は直径4cm程度の小さな円形のものだったそうです。
現在でも判読不可能な文字が彫られているそうです。

さて、時は江戸時代に入ります。
「朱印状」を与えられた公的な貿易船は「朱印船」と呼ばれ、海を渡りました。
商業が発達すると、印鑑は庶民にまで普及することになります。

証文に用いられる印鑑は当時から実印と呼ばれていたそうです。

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